若い人には分からないかもしれませんが、もの忘れって中々認めづらい。
自分が負けたような気がしちゃう。
これは阻止せねば
忘れることに慣れてしまうと、周囲が困ります。
以前は仕方ないだったのですが、最近思うのは
阻止したいのです。
まずは、自分を知る
何か欲しい時、誰かを好きになった時、まずその物や人を興味を持って観察しますよね。
それって、実は自分にとって「プラスになるのか」探っている感覚です。
そのベクトルを自分に向けて観察する。
今の自分は自分にとってプラスなのか?
もの忘れが多くなっている自分は「好きじゃない」んです。
それならば、と考えてアンテナを立てる。
そうすると、「あなたはこれがいいんじゃない?」って周囲に溢れてくるんです。
特に私は、お金をさほどかけずに、さらにモノを増やしたくない。
基本ベースがそこにあるので、その目線内に入ってきます。
多く目にしたのは
昨年は、100冊ほどの本を読む機会を自分で作ったことで、たまたまかもしれませんが、瞑想と日記をすすめる文章を多く目にしました。
瞑想は好んでいましたが、そこに日記が入るということは思っていなかった。
読んでいる本は、別に痴呆関係の本なんて1冊もないんですよ。
それなのに、この2つをすすめてくる。
日記については、デジタル機器を使わない、手書きをすすめるんです。
アナログのススメです。
と思いましたが、これでもかというくらいどの本でもすすめてくるので、ノートを買って始めました。
それが、昨年の中旬くらい。
文字を書くと
漢字が全く書けない自分に「ハッ」とします。
小1か小2くらい気分です。
それで国語辞典を買ったんですけどね。
それが、続けていくと思い出すんです。
瞑想との相乗効果は抜群です。
日記も瞑想も短い
以前も書いたかもしれませんが、日記は5行日記です。
なんでもいいので書きます。
誰にも見せません。
家族も気に留めていません。
長文は書きません。
書いていたら今頃はやめているでしょう。
瞑想は好きなので、タイマーをかけて20〜30分行っていますが、時間がなければ5分です。
それでも充分だと思います。
短くて結構。
ただ、必ず毎日行うそれだけです。
たったそれだけで、自分を知ることができます。
自分の脳内にいかに「ドロドロの想いが残っている」のか否が応でも知ることになりますが、それを知らないと、忘れる自分をただ見つめてイヤな自分だけになります。
自分を知ってさらに飛躍
飛躍と言っても、別に人気者になるわけでもなく、素の自分を知るんです。
見つけると言ってもいいかもしれません。
私の場合は、勉強コンプレックスでしたが、これが勉強を始めたんです。
飛躍どころじゃない。
それに応じて、もの忘れがかなり解消されてきました。
子供の頃は、暗くなるまで動き回って身体を動かしていました。
それが、いつの間にかTVを観ている時間が多くなって考えることが抜け落ちてしまった。
目標もなく真剣に何かをすることが本当になくなった時、もの忘れをする自分がいた。
しかし、手(身体)と目と脳と精神を使うようになったおかげで、変わってくるではありませんか。
実体験でわかってくる。
これは、お金はほとんど必要なくできます。
継続さえできればいい。
「絶対、痴呆はイヤ」という方には日記と瞑想は本当におすすめです。