私はただの平民。世界が揺れるたびに、私が冷める理由
中東の情勢やエネルギー不足など、私たちの暮らしを揺さぶるようなニュースが続いています。
先行きが見えず、いつまでこうした状況が続くのか予測がつかないという話を聞くたびに、どうしてもざわついてしまいます。
毎日たくさんの情報の中に、不安を煽るような強い言葉も溢れています。
けれど、私は今、そんな外の世界の喧騒から一歩引くことを大切にしています。
私が冷める理由の一つに、シンプルに「自分のことで忙しい」
直近の解体工事の手配ひとつとっても、毎月のように県外まで足を運び、相手の都合や相方の休み、膨大な付随する手配を調整しなければなりません。
さらに法務局へ提出する資料作りなど、多くの人間が関わるプロジェクトだからこそ、間違えることができないプレッシャーが常にあります。
自分の足元にある、これらの「逃げられない現実」を一つずつ、片付けていく。
その重みを知るからこそ、遠くの喧騒にまで心を配る余裕など、最初からないのかもしれません。
「あの人が言っているから」だから何?

「有名な誰かが断言しているから」「最新のデータがそう示しているから」。
そう言われると、つい自分の判断を預けたくなり、その人が購入した物と同じ物を購入したくなる心理。
どんなに確からしい情報であっても、それはあくまで「一つの側面」に過ぎない。
流行病の時も、声高らかに断定する情報が溢れ、昨日の正解が今日の不正解になる状況を何度も目にしてきました。
その断定していたことが間違えていたのに、訂正していましたっけ・・・?。
「今回は違う」という言葉は、かえって恐怖しか与えません。
だからこそ、まずは頭の中の熱を冷ますように一歩引いて眺めてみる。
その結果が自分自身の心を守る盾になってくれる。そんな気がしています。
暮らしを整えるという、私なりの「自律」

忘れてはならないのは、その情報の向こう側には、物流や医療を止めないために必死に努力されている現場の方々がいるということです。
現場の熱を知らない私が、届いた情報だけを鵜呑みにして一喜一憂したり、安易に何かを広めたりすることは控えたい。
世界がどんなに不透明でも、私たちができることは、実はとてもシンプルです。
それは、今日という日を淡々と、営んでいくこと。
「慌てることのないよう、いつもより少しだけ備えを足しながらも、普段通りに暮らしていく」
これは、誰かに強制される義務ではなく、私自身がこの時代を穏やかに生き抜くために決めた「自分への約束」です。
根拠のない噂に飛びつかず、足元の家計や資産をしっかり見守ること。
溢れる情報を横目に流しながら、今日のごはんを美味しく作ること。
自分で考え、自分の道具で、これからの航路を一つずつ描いていくこと。
静かな覚悟が、誰かの安心に繋がることを願って
「こうしなきゃいけない」と自分を追い込むことは、今の私には必要ありません。
ただ、「今は、あえて慌てないことを選んでいる」。そう自覚するだけで、私自身の気持ちに、確かな余裕が生まれます。
私が穏やかでいることが、結果として、周りにいる大切な人たちの安心に少しでも寄与できれば、それで十分。
明日がどうなるか、正確に予見できる人などいません。
だからこそ、私は今日も自分の足元にある日常を慈しみ、地に足をつけて歩んでいこうと思います。
