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「誰が正しいかより、誰がうまく話せるかの世界」

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「それ、前にも言ってたよね」
と、ドヤ顔で言う人にかぎって、だいたいその前の内容は覚えていない。
でも、「ほら、私の言った通りになったでしょ?」とは言う。

最近、そんな“どっちに転んでも正しかったことにされる”話に、妙に出くわす。

「ほらね」と「よかったね」は、どっちでも使える

■ どっちに転んでも正解になる言葉たち
「寒くなるから気をつけてね」
→ 寒い日 →「やっぱりね」
→ 暖かい日 →「みんなが注意したからだよ」

上司のアドバイス
→ 成功 →「ほら、言った通りだ」
→ 失敗 →「無理はするなって言っただろ」

どっちでも、“私の忠告は正しかった”ことになる構造。
最近では、これを私は「万能フラグ話法」と呼びはじめた。

心理学でいう「確証バイアス」って?


■ 自分に都合のいい情報だけを集めてしまう脳のクセ
この万能フラグ話法、実は心理学では「確証バイアス(confirmation bias)」の一種。

人は、自分の信じたいことに合った情報ばかりを集めて、
反対の意見や情報を無視する傾向がある。

つまり、

「当たった」→ 私は正しかった

「外れた」→ あれも想定していた

「予想と違った」→ それも意味があった

どんな結果でも“自分の正しさ”として回収してしまう。
しかも、それを無意識にやってしまうのが人間のクセ。

「結果」でしか語らない世界の怖さ

■ 結果だけが正しさを決めるようになると、
成功した → 正解だった

失敗した → その失敗に意味があった

…って、それもう全部正解やないかい。
この構造が当たり前になると、「考えること」がどんどん省略されてしまう。
予想ではなく、あとから意味づけされる世界。

ただし、
気弱になっているときや、失敗して落ち込んでいるときには、そうした言葉が「救い」になることもある。

だからそれをすぐに否定するのではなく、“考えずに信じる”か、“自分で問い直す”か、
そこを自分で選べるようになれたらいいなと思う。

正しさより、“一緒に考えられる人”が信頼できる


「どうなるかわからないけど、どうする?」
そう問いかけてくれる人の方が、よっぽど信頼できる。

正解を押しつけない

予言じゃなくて、対応の話をする

考え続けてくれる人

そんな人のほうが、ずっと安心できる。

“まぼろしの正しさ”から距離をとるために私は、そういうあとづけ解釈の正しさを「まぼろしの正しさ」と呼んでいる。

未来を予想していたわけじゃなくて、あとから都合よく意味をつけ直しているだけ。

そして私がいちばん危惧しているのは、そういう“うまい話”を使って、誰かからお金を取ろうとする人を、信じてしまう人が少なからずいるということ。

「〇〇が起こると言ってたことが当たってた」
「〇〇が起こらなかったのは皆が〇〇したから来なかった」

そんな言葉に、どれだけの人が“信じた代償”を払ってきただろう。

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30秒で、自分に問い直す

それにしても、昨日と今日の株価がこんなに違うなんてね。
ほんと、未来なんてわかるわけがない、ですね(笑)

なぜ?僕(私)はこう決めてしまったんだろう?最近は、30秒だけでも、自分に問い直す時間を持つようにしている。

「それ、本当に納得してる? それとも、ただの自分のクセ?」

おわりに:考え直す時間を持つという選択

未来はわからない。
でも、立ち止まって考え直す時間を持つことはできる。

それだけで、
まぼろしの正しさから、少しだけ離れられる気がします。