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情報の一部だけしかみえていない人生でした「情報にビビる50代」

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毎日見聞きする大量の情報を自分はどう捉えているか?

今まで1ミリも疑問に思わず過ごしてきました。

しかし、本を読んだり、勉強をしていくうちに

自分の中で情報を鵜呑みにして、自分勝手に解釈していたなぁと思うようになりました。

事実ってどこにあるの?

例えば、下記の画像が何かの出来事に対してほぼ事実の写真だったとします。

笑顔の女性が5人・泣いている人が2人・怒っている人が1人です。

ですが、上の4人を消して記事にしたらどうでしょうか。

あらら、笑っている人が1人、泣いている人が2人、怒った人が1人とクローズアップされました。

この場合の記事は、ネガティブで心にどう訴える記事にするでしょうか?

もしかすると、「心配や可哀想といった気持ちや、怒りといった気持ち」を起こす記事になっているかもしれません。

では、逆にしてみたらどうでしょうか。

これを下の人だけを切り取って上の4人だけが記事になったとします。

これだけを見て、満場一致で「全ての人が満足した状態に見えます」し、記事にもそう書いてあることでしょう。

本当は最初の1枚を出せばいいのに、わざわざ分ける意味は、この2枚のどちらを切り抜くかによって、人の心象はかなり変わってくるということです。

見出しも作りやすいですしね。

ではどう受け取ったらいいのか?

書き手の主観が入っていないかな。という目線で読んでみる。

疑ってかかる。

実は一部を切り取っているのではないか?

全世界の全てがニュースやネットに上がるわけがないし、全ては何かを一部取り出して記事にされているよねと少し自分を落ち着かせる。

ここ最近のことで言えば、昨年、卵が棚から消えて数量制限がかかったりした時、もう日本で卵が食べられなくなるのでは、という気持ちになるくらい卵が置いていない映像が流れていました。

しかし現在はどうでしょうか、値上げは確かにありますが、以前のように卵は棚に並んでいます。

ニュースは一時的に大騒ぎしますが、あっという間に何もなかったように他の情報を毎日出してきます。

実際、毎日がこの繰り返しという事に気付けたら、気持ちはかなり落ち着くようになりました。

と、まあこういうことも、本を読むようになって知ったことです。

実際、データでは世界はよくなっていることを教えてくれます。

本が全てで、絶対とは言いません。

ただ、じっくり腰を据えて文章を読んでいくと、情報を俯瞰して考える余白ができてきます。

これは誰のためでもない、ビビリで小心者の自分のためと思って本を読んでいます。

世の中知らないことだらけで、未来は誰にも分からないけれど、良くなって欲しいという気持ちで進んでいるというのが人なのかなと思うので、今後も情報とはうまく付き合っていこうと考えています。